福井大学ワンダーフォーゲル部OB会福井支部

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

御床山登山

2012.10.14 御床山に登りました。

現在私、橋本の住んでます豊地区では、市の協力のもと御(三)床山を鯖江市の山城の史跡に指定されるべく準備をしています。詳細はまた「福井の山と半島」の資料としてまとめますが、現在の地図の表示は「三床山」ですが、正式には「御床山」と書くべきとの事です。
 今回地域の健康ウオークの一環で2地区(豊地区、吉川地区)がそれぞれの登山口から山頂を目指しました。大変天候も良く老若男女約200名の大勢の登山となり、先月の地域の壮年会や関係者の登山道整備で特に今回は山頂の見晴らしを良くすべく、かなりの大木を東側を伐採して好評でしたが、個人的には360度パノラマにしてほしいのですが!


DSCN0077.jpg
鯖江市街から西側に見える御床山全景


DSCN0080.jpg
この日は多くの参加者で賑わう


DSCN0084.jpg
山頂からの眺望


DSCN0081.jpg
山頂からの180度パノラマで右は日野山、中央には遠く加越の山々、部子山、冬の天気の良い日には左に白山連邦も。


IMG_2516.jpg
これはGoogle Earth の3D写真


P1010636_convert_20121018103824.jpg
頂上の説明パネル


以下は以前登った時の記録です。
写真 (2)



2010.7.9 三床山石生谷林道コース


P1010615_convert_20121018103715.jpg


天気曇り25度
6:15池の畔よりSTART

鯖江市街から宮崎に向かう寺線から、石生谷の公民館の所から町内に入り、奥にため池がある。ここに車を 止めて(2-3台駐車可)、イノシシ侵入柵と扉を通り、林道を進む。杉の林を抜けるとまもなく谷側にまだ植えて日が浅いがずうっと桜並木が続く。
小型の車高の高い4駆なら上がれるが、未舗装で普通車では少し危険。今回は歩きでゆっくりでも25分で、林道の終点。

6:30林道の分岐(通なりに左折)

ここからは、しばらく尾根に沿って、広葉樹の林がつづききれいに整備された登山道だ。
難点は道標(頂上まで900m)木が多く見晴らしが悪い。900m先の頂上以外では見渡せない

6:50道標(頂上まで500m)

7:00道標(頂上まで300m)

佐々生登山口の分岐があり、頂上に向かって最後の階段登りが少し続き、頂上だ。

7:10頂上

頂上とはいえ、この時期草が50cm程度はえて、こんもりした森の中の広場(20坪もあろうか?)という感じですこし東側に下りたところからは多少見晴らしが開けるが、大きい木にさえぎられて豊地区全体は見えない。鯖江市、越前し、日野山、部子山・・・・・と北から東、南方向の眺望を楽しめる。すぐに下る。

7:45林道終点

8:05登山口に到着。

登り 55分休憩なし 速度 速い
下り 55分休憩なし 速度 ゆっくり



7月20日佐々生コース

P1010698_convert_20121018104057.jpg

快晴29度

5:40 START

朝日町西田中から、越前町宮崎に向かう国道417号線沿って進むと、赤い屋根のハイピーKKの建物を過ぎすぐに左手に佐々牟志神社の標識があり、これを左折しすぐに朝日町南保育園を過ぎると目の前に佐々牟志神社の鳥居と急な登りの階段が目に付く。ここが登山口である。
今回は夏の早朝の登山であったが、階段を上り詰めた神社の境内の片隅に「カモシカ」が一匹こちらを伺っていた。こんな民家のすぐ近くにもカモシカとは・・・・・驚きである。残念ながら写真はうまく撮れず。
この神社から900mの標識が見られたが、少々登り口が分かりにくいが、ケノモよけの柵に沿って神社の脇を約5分程上っていくと、奥の院の秋葉神社が見え、山頂まで800mの道標がある。
この登りは適度な傾斜で、道もよく整備され、道標は100mおきの立てられている。松やコナラなどの雑木林で昼なお暗く、見通しの悪い道である。登山口から約30分で頂上まで100mで、標高270mの分岐に着く。

6:15分岐に着く

ここから左にすぐに頂上。右に行くと石生谷コースへの下り。300m東への下りに水場の表示があるが少々遠くて怪しい?(2012年には水場の表示はなし)
今回は頂上へ行かず、下山で石生谷コースへ向かう。南に向かって尾根伝いにゆるいUPDOWNを約20分下ると、石生谷林道コースの林道の終点に着き、さらに約35分で、石生谷トンネルの上の林道の終点に着く。

6:35石生谷林道コースの分岐着。

7:10石生谷トンネルの上の林道の終点に着く

7:15石生谷コースの登山口


P1010722_convert_20121018104824.jpg
石生谷コースの登山口

登り   35分
下り   60分


7月22日和田、西大井コース

P1010730_convert_20121018104948.jpg

快晴
5:40和田登山口よりSTART

道標は2箇所ほどあるが、民家の脇を上ると早速獣よけの高圧線の柵があり、金網のドアーをあけて杉林の山道を尾根に向かって登ると左方向へ道標があり尾根伝いに25分ほど雑木林を登ると、西大井コースへの分岐に着く。すこし歩くと頂上まで500mの数少ない案内を過ぎ、15分も歩くと頂上である。今回は道中、ウサギとイタチを見かけた。

6:25頂上に到着。

6:40下山

頂上から北北東に向かって尾根伝いに下る。約10分ほど下ると西大井への分岐の道標があり、今回はこの西大井方面に向かって北東方向へ下山する。あいかわらず木々の林の中で見晴らしは悪いが、緩やかなUP-DOWNを歩く。分岐より約25分歩くと田んぼや家が見えてくるが、この時期夏草が茂ってあまり利用されてないようで分岐より約25分歩くと田んぼや家が見えてくるが、西大井町に下山できる。北西へ下山すると佐々生方面になる道、作業道もある。

7:20 登山口に到着。

登山口は大井町の集落センターで、ここには鯖江市のバスが神明駅などと連絡している。このセンターの前に5-6台の駐車は可能。

登り  45分
下り  40分


P1010750_convert_20121018105051.jpg




御床山の史跡について(鯖江市教育委員会文化課 前田清彦氏)

1、御床山城が造られた時代背景
 今から約700年前、鎌倉幕府は北条氏が実権を握っていたが、その専横ぶりから他の武士団からの支持を失っていた。この機会を見た後醍醐天皇は、武士から政治の実権を奪い取ろうとした。
 この後醍醐天皇の動きに、足利尊氏、楠木正成、新田義貞らの反北条武士団も呼応し、元弘3年(1333)に北条高時を滅ぼして、鎌倉幕府は滅亡した。
 後醍醐天皇は天皇親政を行おうとしたが(建武の新政)、足利尊氏はあくまで武家政権を継続しようとして離反し、京都を占領して光明天皇を立てた(北朝)。後醍醐天皇は吉野に逃れて(南朝)、以後、60年にわたり南北2つの朝廷が並立して抗争を繰り広げられた。
 南朝方は新田義貞を総大将として奮戦するが、近畿地方での合戦に敗北し、北陸方面に逃れ再起を図る。これを追って北朝方も軍団を派遣し、敦賀〜武生〜鯖江〜福井にかけて、南北朝の合戦が繰り広げられた。

2、御床山の築城
 御床山城が、いつ、誰によって築城されたかは分からない。しかし、「佐々牟志神社社記」には「北朝方の大将である斯波高経が一時期立て籠った山城である」と記されているので、南北朝争乱の時代に南朝方(新田義貞軍)と北朝方(斯波高経軍)との合戦に伴って築城された山城と考えられる。標高279mの山頂にある。

3、当時の山城の機能
「城」と言っても、御床山城は「石垣があり、水堀があり、天守閣がある」といった、安土桃山時代以降の城郭ではない。「砦」をイメージした方が実態に近い。
 敵軍からの防禦に適し、かつ見晴らしの良い山上に築かれた「山城」であり、日常的にそこで生活していたわけではなく、敵軍との合戦状態に入った緊急時に、軍勢を立て籠らせ、防禦あるいは攻勢の拠点とした場所である。

写真



4、近隣の山城の遺跡
 *金ヶ崎城(敦賀市)  標高86m、南朝方の山城。国指定跡。
 *そま山城(南越前町) 標高492m、南朝方の山城。国指定跡。
 *氏江岡城(鯖江市)  標高61m、上氏家町の岡山に築かれた北朝方の山城。
 *三峯城(鯖江市)   標高404m、上戸口、西袋町、福井市にまたがる南朝方の山城。市指定史跡。
 *二峯城(鯖江市)   標高293m、下新庄、新、中野町にまたがる南朝方の城。



スポンサーサイト
  1. 2012/10/14(日) 18:22:16|
  2. ワンデリング
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。